ペルソナ5 ザ・ロイヤル の正しさ

先日、購入よりプレイを続けていたPS4タイトル「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」をクリアしました。

僕のペルソナシリーズプレイ歴というとPS Vitaで発売された「ペルソナ4 ザ・ゴールデン」ぐらいなので他のシリーズについては全く知らないという程度です。

「ペルソナ5」が発売すると聞いた時も、ゴールデンのように追加版みたいなの出るんじゃないと踏んでいたので無印ペルソナ5はプレイせずに、本作ザ・ロイヤルにて触れることになりました。

クリアするまで実に100時間以上は超える壮大な内容となっていて、感じるものも多かったので簡潔に感想を記してみたいと思います。

作中の固有名詞は少なめで書いたつもりですが、本作の筋書きには沿う内容となりますので未プレイの方にはその辺のご判断をお任せいたします。

 

本作の舞台は現実の東京都で、その中でも渋谷を中心に話が進んでいきます。

主人公は男子高校生で、ある日、大人から理不尽な罪を被せられ厄介払いのように地元を追われ、保護者の居る東京の高校へ転入することに。

そこでも主人公と同じように、大人の理不尽な私利私欲によって虐げられた人たちが居て、彼らと共に世の悪党を成敗する義賊を結成する。ここでいう悪党は社会悪であり、かつ主人公およびその仲間たちに仇なす悪い大人として相対している。

そして義賊である彼らは危ぶまれた自身を確保する、弱者を救う、悪い大人をやっつけるという「正しさ」を行使するところから始まり、そして世論に支えられ「成敗」を重ねるにつれてその存在感や現れる悪党の規模が大きくなっていく。ここでいう「成敗」とは、主人公たちがもつペルソナの力を使い、悪人の心と直接対峙してその心の持ちようを変えさせるという行為のことになる。また、その「ペルソナの力」というものは、主人公たちが各々心の中に閉じ込めていた「憎しみ」「怒り」「哀れみ」などの負の方向にある感情を、二つと無い自身であると認めることによって発現し、人々の心の世界にて行使できる力である。

本作は概ね上記のような流れで本筋が進行していくのですが、その中で彼らが「正しさ」について何度も確かめるように自問自答し葛藤する姿が印象に残りました。その「正しさ」というのは、自身の行いが社会的規範と照らし合わせて正しいものであるとか、自身の心の持ちようが正しいものであるかなどといった「正しさ」に翻弄され、それが彼らの行動を決定し、ひいては本筋の結末を導いていくことになります。また、物語が進むに連れて対峙する悪人そのものより主人公たちを観測する「大衆(世論)」によって、主人公たちが社会的規範から見て「悪」の立場に追いやられる場面もあった。本作ではプレイ中に「周囲の人間の反応」「ネットの反応」などといった形で、物語の進行度合いに応じてリアルタイムに世論が耳に入ってきました。

そんなこんなで「正義」と「悪」、二項対立の末に主人公たちが勝利するところで「ペルソナ5」の物語は終わりとなります。実際これで終わりだと「え、これで終わりなの」とそっくりそのままの感想しかおそらく出てこなかったであろうと思いました。確かに悪いやつはやっつけたし、その元凶であった「意見(正義)を持たない大衆の意思」にも干渉し世の中を良い方向に持っていくことも出来、主人公たちも晴れて自由の身になったわけではある。しかし、彼らが成し遂げた「成敗」もいわゆる社会的規範と照らして「おおよそ多数の希望的な正しさ」に沿って行われたように思えてならない。それでは、主人公達もまたとない「大衆」の一人ではないのかと思われた方が居たことでしょう。

そんな前作のモヤっとした筋書きに一本の梁を添えたのが「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」でした。具体的には「ペルソナ5」で最後の敵を倒した続きに新たな敵が現れるのですが、その敵というのはこれまで対峙してきた悪い大人ではなく、大切なものを奪われ虐げられた過去を持ち、それ故に弱者を救い、世の中を良い方向に向かわせたいと願う人物が立ち塞がることとなります。物語の選択肢としてその敵が示す「誰も傷つくことなく、そして悩み葛藤せずとも皆が幸せになれる未来」を受け入れてゲームクリアとなることも可能でした。

それまでに登場する悪党はおおよそ自身が掲げる「正義」と呼べるものは無く、私利私欲で行動していたらたまたま主人公たちが近くに居たので敵対することになる形で進んできていたが、ここに来て明確な「正しさ」を主張する敵が出てくることになった。「幸福な未来」を受け入れるのならば、これまでに虐げられてきた事実は無くなり、人々は自身が傷つくことなく生きて行くことができる。主人公たち、ひいては我々プレイヤーはこれまで以上に何が正しいのかを考える機会になったはずです。

最終的に、これまでに自身が、仲間たちが背負ってきた痛みを忘れてしまうことこそが何より許されないことであると決断することで、その敵に立ち向かうという選択肢を取ることが可能になります。

自分はここで初めて、彼ら自身の主張であり欲望であり、本作の主題である「反逆の意志」を示し「自由の獲得」に至る様子が描かれているように思われて、キャラクター達が生き生きしているように感じました。紹介していなかった項目で、本作では悪人を「成敗」する前に、仲間全員の「全会一致」を得る必要があります。とはいっても毎回全員が承諾してくれるので物語の進行に何か影響を及ぼすわけではないのですが、多数決で多い方の意見を採用するのではない真の民主主義を模した仕組みになっています。もしかするとここは試作段階の時点で「反発してくる仲間が居る」のような要素もあったのかもしれませんね。

ここに至るまでの筋書きでは「大衆」の声、言ってみれば多数決的な意思に大きく揺さぶられる様子を見せていた彼らにとって、自分たちで見出した「正しさ」を獲得した瞬間だったはずです。前作ペルソナ5では描かれなかった部分になりますが、おそらくこの部分を最大限に意識して描写するつもりで本作が出来上がったのはなんとなく読み取れるところでしょう。

最後に、昨今のロールプレイング式のゲームでは社会的規範から見て「悪人」として物語を進行することが可能であったりとプレイヤーが物語の進行を大きく左右することができるタイトルも珍しくなくなった中で、勧善懲悪・若者と大人という二項対立に軸を置きつつ、時間の流れが早くなってきていて多数決で評価された情報が注目を浴びやすい現代社会において如何に「正しくあるべきか」をプレイヤーに投げかけてくる挑戦的な作品です。その点から振り返ると「自分自身と向き合う」というシリーズ伝統の仕組みがより映えるものになり、見た目の部分で言うと「仮面」を被った姿というのも分かりやすい意匠でした。